レッスンいろいろ
昨日はフレンズでラテンピアノ入門、っていう趣旨のジャズピアノレッスンをやりました。
ジャズのセッションライブにあたらしく参戦するけど、ジャズというより、
ラテンのアドリブを持ち込んで、仲間に一泡吹かせたい!というニーズに応えてのレッスンでした。
自分でもインターネットや本でかなり研究してきたという、ラテンのリズムにあこがれもあって、
なおかつ、素直でいい感じの感性を持ってる方でした。
3時間くらい、つきっきりで特訓していたら、いままではまったくできなかったのに、
ワンコーラスをラテンのリズムでアドリブとり切って、できるようになっちゃった。
昨日教えたのは、リズムに乗るというのは、自転車に乗るようなもので、
訓練すればほとんどの誰にでもできるようになるけれど、
できるようになるまでの間は、どうやって乗れるようになるのか想像もつかないもの。
転ぶと痛いし、練習にもどういう意味があるのかわからないし、ただただ苦痛だったりする。
それでも、10年毎日練習し続けても、まだ自転車に乗れない人に僕は会ったことがないし、
それはリズムの場合も同じだろうと思う。
そして、使えるリズムを持つということは、やはり自転車と同じ程度には持っておくにも負担があるというか
人間の内部にそれをしまっておくスペースが必要です。
だから人間の内部が散らかってしまっていて、新しく大きなものを置くような場所を持っていない人は、
どんなに教えても、いいリズムを持つことはできないし、
僕も、できない、って追い返すのもかなしすぎるので、一緒に内部の片づけを手伝ったりすることもある。。
(限度を超えてどうしようもない場合は、もっと片付いたら連絡ちょうだい、と突き放すときもある・・・)
そのスペースをふさいでいる、僕にはガラクタに見えるようなものも、その人にとっては宝物だったりする。
でもその人は、いろいろな宝物に埋もれて、僕には苦しそうに見える。(あっぷあっぷしてるから)
捨てちゃうのももったいないかもしれないけど、人間の内部に何かを持つためのスペース・余裕を
もたないでいっぱいいっぱいで暮らしちゃう方が、人生の時間がもったいないと僕は思っちゃう。
(だって、何かが足りないと思うからこそ、僕からリズムを学びたいって言い出したんだよね?って思うから)
いいリズムで演奏する、いいリズムで暮らすって、とても楽しいことだし、幸せにとても近いです。
それが簡単にはできない人には、最初に学ぶ上でたいへんな苦痛が伴う場合もありますが、
その後にはそれ以上の幸せと感動が待っているんですよ。
今週テレビを見たときに、登山家の人が話していて、
「登山は苦しくなかったら、感動しないから、苦しい条件でやらないとダメなんだ」って言ってた。
だから、単独とか無酸素とか、より苦しい条件で登るんだって。
僕はピクニック程度の夏の富士山に何度か登ったくらいだけど、それでも上の方が酸素薄くて苦しかったから、
なんとなくそうかなーと思ってたけど、プロの登山家の人が言うなら間違いないよね、と思った。

コメントする