TIMBAの極意
昨日は7月28日赤坂アンベクアトロと7月29日ホテルニューオータニにゲスト出演してもらう、
Nuevo Vientoをはじめ、ラテン専門に大活躍中のベーシスト藤田さんとスタジオに入っておりました。
今週は、スタジオで暮らしてる人みたいな生活だったな。。
地元のスタジオオリーブにて。当日に予約したんですが、たまにこういうこともある。
の 「今日の個人練だいじょうぶな時間帯ってありますか?」
ス 「あー。。。ご希望は何時からですか?」
の 「19時とか20時とか夜がいいんですが」
ス 「どっちでもだいじょうぶですよ」
の 「ちなみに、何時まで続けて押さえられますか?」
ス 「ラスト26時までだいじょうぶですー・・・」
の 「スタジオは何番スタジオが空いてますか?」
ス 「Aと、Bスタが空いてますねー。。。」
AとBしかないスタジオだから、それってぜんぶ空いてるって意味じゃん。
すごすぎる!
そして、ピアノとベースの練習はエルマノス伝統の練習法となりつつある、
1000本ノックみたいなやつをやって、早い話が、特訓です。(注:いじめではない・・)
ぶっとおしでやるとかなりきついもので、スタジオが暑かったのもあって
汗が噴出すし、今朝気がついたら、ちょっとやせてました。。筋肉痛だし。
ノック打つほうがたぶん楽なので、受ける方はもっとたいへんだったろうなー。
昨日はTIMBAの極意みたいなリズムの部分を特訓しました。
TIMBAのリズムは緻密にできていて、完全にはできないものの、
かなり理論的にもアプローチできるものでもあるんです。
エルマノスの3人は感覚的にやっていますけれど。。
そして、音楽ではどの部分でもとても大切ではあるのですが、
形をとらない「流れ」のようなものをいかにコントロールして盛り上げたり
表現に使っていくかというのが、アレンジで取り決められています。
もちろん、そんなことは楽譜にかけない。
だから、譜面の向こうの世界を見通す力が最低限必要になってきます。
見えないものをしっかりみて、コントロールしながら盛り上げる特訓。
余分なものを見ていると、もともと目に見えないものだから、すぐに見失うんです。
何かを目で見ているということは、他のものは見えてないということだからね。
形をとらない目に見えないものを、はっきり存在するものとして、
はっきりやり取りをしているうちに、演奏する上で必要な
でも、形をとらないからこそ、つかみどころがなくてよく分からない、
自信、感動、強さ、美しさなどなど、、これがはっきり表現できるようになって
はっきりしたものとして、お客さまに提供できるようになると僕は思っています。
そのための曲のアレンジだって、僕は思ってます。
ただ単に楽しいだけの音楽じゃなくて、そういう感情を超越した
人間ならぜひとも欲しい「価値」みたいなものを、直接やりとりするの。
でも、それが見えない間って、
「アナタハー、、カミヲシンジマスカー?」みたいな話じゃないですか。。
それだけに、たいへんな思いをしてチャレンジしてくれるメンバーは
とてもありがたいし、ただ楽しいだけじゃなくて、もっと価値のあるものを
やり取りしながら共有して結束していく仲間でありたいです。
苦しい道のりを進んで、いっしょに冒険する仲間だから。
だから、時には楽しいということさえ「いっとき」否定することもある。
楽しいかどうかを考えたり、見入ったりしていると、リズムの流れを見失うから。
向かっていくものにわき目もふらずに、進む感じが欲しいからです。

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