2010年7月26日

ブルースと失恋とグルーブと

フレンズの地元のお客さんというか、近所の飲み友だちというか、ブルースが大好きな人が多いんです。
ブルースセッションやライブもたまにやっているくらいで。

保土ヶ谷ではラテン同様に、ブルースも水面下で大ブレイク状態(!?)なんです。
ラテン音楽とも20%くらいはなんか共通点があるような親近感がある音楽だったし。

というわけだから、宴会のときに見よう見まねでいつも適当にあわせてしまっているだけだったのを、
昨日はブルースの先生もやってるディクソンさんと一緒だったから、
普段は(聞くのも聞かれるのも)恥ずかしくて聞けないような質問をいくつかしながら、合わせてみた。
僕の敬愛するK先生(=お医者の先生で、音楽は生徒です)と一緒に。

スリーコードってなんですか?ってところから・・・
いいんです、僕はいつだって合わせてくれるミュージシャンと聴いてくれるお客さんを先生だと思って
ラテン音楽だって勉強してきたんだから。

僕がラテン音楽を教えてるときに、あちゃー、、って思ってることを昨日は自分がやってしまっていて、
中身を教わる前までは、ブルースの流れや、音楽の流れ、楽曲の流れがちゃんと見えているのに、
簡単なコードだけど、それを頭で考えた瞬間、あっけなく流れを見失ってしまう。
忘れるから、紙に書いてもらったんだけど、それがいけなかった。読んじゃうからね。


形をとるものを追いかけるとダメなんだね。

たとえば、求めに応じて、
「キミのことを一生愛するって約束するよ!」 って約束したとしたら、きっとその晩限りはすごく盛り上がるよね。
「愛の証として、これをプレンゼントするよ!」 っていうのもおなじこと。

でも翌日、
「今日もキミのことを愛してるよ!約束は約束だからね!」 って言ったら、たぶん関係はそこまでだよね。。
「僕の愛は、そのプレゼントに入ってるから、もう僕からは直接求めないようにしてね」 っていうのとおなじだよね。


音楽の流れは流れだけで見ておかないと、見失うんだね。
そして、その見えてる流れに対して自分は何ができるか、何をするかがアンサンブルなんだね。
音楽である限り、それはなんでも同じだなーと思った。

愛されることばかりに気をとられて、自分から愛することを知らない人にはきっと分からない。。
(なんだか、よくあるブルースの歌詞みたいな話になってきた)

人が演奏しているリズムの流れはそれでも見やすいもの。人が向けてくれる愛情が見えやすいのと同じように。
でも、自分が作り出して放出している音楽の流れって、それを見るのは、自分の向けている愛情が
どんなもので、どういう方向にどういう強さで向かっているのかを知ることくらい、
一段とむずかしくてレベル高いことだと思う。

僕にとっての問題は、リズムやグルーブをキープするように(それはもうできるから)、
果たして愛情のキープが同じ方法論でできるかっていうことだ。。

誰ですか、そこで笑ってるの。。笑うところだから、いいんですけど。

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