RECだけがある
今日はエルマノスのRECだけで、他にはなにもありません。
というか、それしかできないし、他には何もないんです。良いことも悪いことも。
今日の幸せは、これがすべて。それが本日の僕の人生。
唐突だけど、究極的に美味しいものってふたつのアプローチがあると思う。
美味しい材料を美味しく料理するっていう、よくあるアプローチがひとつ。
もうひとつは、究極までおなかがすいていれば、何を食べてもきっと美味しいよね。
そんなものは世の中に存在しないけど、世界でいちばん美味しい料理があったとしても、
食べるときにおなかがすいていなかったら、きっと美味しく食べられない。
だから、究極に美味しくごはんを食べるために、限界までおなかをすかせる状況において、
空腹の苦痛って恐れてはいけないよねと思う。必要なこととして、自分で選んでそうするんだから。
苦痛を避けて得られる幸せって、種類によってはそれなりのものでしかないと思う。
とくに、音楽関係の場合は、ほとんどのものがそうだと思う。(他の世界のことは良く知らない・・・)
そして、その苦痛も程度を超えると、ただの苦痛でしかないからね、
それでも目指すものがあれば楽しいはず、とか、そういう甘いものではないんだと思う。
レッスンでリズムトレーニングを教えていて、フォームがぶれてリズムが定まらないときには、
いちばん良い練習法は乱暴な話だけど、
くたくたに疲れた状態でやれば、フォームがぶれることそのものがいちばん疲れるので
ブレが収まって、フォームが良くなるんですよ。
でも、練習している間に「疲れた」という苦痛であたまがいっぱいになってしまうタイプの人って、
その間に学べることを学ばないから、あとで効果があまり再現しません。(そのときだけはできてるけど)
せっかく疲れた状態をわざわざ作って、「疲れた」ってこと以外をあたまが一切考えないようにしているのに、
最後に見つめるのはリズムの流れなのに、「疲れた」ってことだけ考えてしまうと、ほんとにただ疲れて終わるだけだよね。
性格とかもあるのかもしれないけど、これはただの目線の使い方なので、あまり関係なくできるでしょ、って僕は思っているけど
これがほんとに難しい場面というのに、これまで何度も出会ってきました。音楽の場だけでもかなりの数。
とか、エラソーなことをいいながら、僕も昨日は他に何にもないことについて、実はくよくよ考えてた。
今日のことだけではなく、レコーディングの進行そのものが僕にとっては大事業だから、
これやっていると、他のことができなくなってしまうから、他のことではすごく困るのね。。
せっかく集中するためにそういう環境を作ったのに、自分でほんとにおろかだなーと思うのは
他の心配事を始めた瞬間、せっかくのバンドのサウンドのイメージは消えてしまう。見失ってしまうの。
これまでたくさんのものも犠牲にして作ってきた大切なイメージ(=財産)なのに、見失うときはあっけなく消えてしまう。
また、思い出すのに時間かかっちゃう。
わき目も振らずに、最小の、ちっぽけな幸せを、最大に受け取って堪能するの。味わいつくしてやろうと思ってる。

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